任命責任を責める政治家をよく見ます。投票した人を攻めるような内容も、みることがありませんか?もちろん任命責任は大切ですが、防ぐことが難しいことを責めるのはいかがでしょうか。
今回は、任命責任について自分なりの考えをまとめてみました。
任命責任とは?

そもそも任命責任とはどのような意味でしょうか?
任命責任(読み)にんめいせきにん
引用元:コトバンク
ある者を任命することによって生じる任命者の責任。
任命責任はその任命するポストによって重要性が増してきます。
「人の上に立つ」、言葉はあまり良くありませんが、そのポストを全うできる人という確信のもと、任命は本来行われるべきです。
ときには、成長を促すために力量や経験が足りていないが任命する場合もあります。これは、その人にそれだけの魅力があるからこそのこと、上のポストに就くことで成長が早まることに期待する状況です。この場合、失敗をすれば任命責任を強く問われることもあります。より大きな失敗となれば、その任命責任者の座にも影響があるかもしれません。
ただ、その考え方が任命された人を強くするのも事実です。任命者の気持ちに応えるよう努力する人も少なくありません。
企業であれ、その中の組織であれトップが変わることで生産性が変化することはよくあります。今の上司のために頑張りたい!部下から見てそのような気持ちにさせるような魅力あり、やる気が噴き出してくる上司を誰もが持ちたいのです。任命者にはその責任がある、これは当然のことではないでしょうか。
そもそも任命責任を問われないのは無理ではないか?

先ほどは企業における任命責任です。
しかしこと国会においては、任命責任が問われないことは事実上不可能ではないでしょうか。
経験年数が浅い人は選ばれない
大臣になる人は、経験年数が浅い人が選ばれることはまずありません。派閥、しがらみなど、議員同士の関係がそれを許していないことは見ていればわかります。
「私は全うな政治家だ!」と心から言えるのは、国会議員で年数が増えるほど反比例のように減ることでしょう。
全うなことをしていると断言できる人でも、その立場を利用する人はたくさんいます。
企業がその政治家に恩を売りたいのでしょう。違法ではありませんが、得た力がまっとうに使われていないと思う人もいるはずです。社員がその党を応援などしていません。いわば合法的なカツアゲと言ったところでしょうか。知らぬ間に一般市民を苦しめることなど、多くあるのです。
経験年数が浅い人は、このような力がまだ与えられていません。任命後のスキャンダルを避けるのならば、議員という立場で得た魔力にとりつかれる前の人です。しかし、それを許さないのが現状ではないでしょうか。
週刊誌はネタを持っている
年数を重ねるごとにスキャンダルは増えます。そして、週刊誌はそのネタを持っています。発表をするタイミングは、その政治家への注目度が上がる瞬間、大臣などに任命されたときです。
見出しも打ちやすく、見る人の興味が注がれ、売り上げも上がることでしょう。週刊誌は、大臣になりそうな人のネタをねかし、より良いタイミングで公表をします。
これは、その売り方に対し賛否両論ですが企業も、より利益を上げるためには仕方ないことかもしれません。要は、政治家が悪いことをしなければこのような構図にはならなかったとも言えます。タイミング良く販売する週刊誌に文句を言うのは筋違いです。
任命責任は必ず起こる?

今の政治では、任命責任は必ずおきます。任命責任を問う政治家もいますが、起こさない自信がおありですか?と聞いてみたいものです。
派閥やお世話になったことで頭が上がらない、何かしらの弱みを握られているなど、政治家の中ではよくあることではないでしょうか。政治家の中だけではありません。大企業でもよくあります。これを防ぐことはできません。人は誰もが有利なるよう行動します。その集まりが国会議員ではないでしょうか。
他の政治家を責めないのは、自分が責められるかもしれないもしくは、責められたときに困るからのようにも見えます。陰口のような陰湿の世界に見えて仕方ありません。
本当の任命責任を考えてみた
任命責任を現在のように捉えていたら変わりません。そこで、本当に任命責任とは?を考えてみました。
任命した前のスキャンダルは仕方ない
正直、政治家はスキャンダルが多すぎます。多分、これを気にしていたら、大臣の枠はすべて埋まらないのでは?と錯覚するほどです。
もちろん任命前に、週刊誌の記者以上の調べを行えばいいかもしれませんが、それも机上の空論です。人の心の中まで見ることはできません。何かしらのウソを持っていることがほとんどです。それを全部暴くのはむずかしいことではないでしょうか。
よっぽどの大きなことでない限り、任命前のスキャンダルに対し、任命責任を問うのはくだらないように見えます。
週刊誌へ、任命前に調べた内容を報告する義務付けをすれば少なくなるでしょうが、それは次なる汚い行為を生むかもしれません。その担当者を買収する行為です。ある意味、政治家の悪いことが表にでるのは、週刊誌のあり方のおかげかもしれません。
今の捉え方で任命責任を問われない人選をするのは不可能です。誰にもできないことで責めるのは間違っています。
本当の任命責任は何もしない人を選んだ人
本当の任命責任は何もしない人、いわば「なんちゃって大臣」です。
大きな国難が起こっているさなか、大臣がそれに対し何かをしたという報道をほとんど見ません。やれることはたくさんあるはず、それを形にする力を持っていながら何もしない人、そのような人を選んだことが本当の任命責任ではないでしょうか?
「国難の状況で私はこのようなことをした!」と自信をもって発表できる人が国会議員の中にどれほどいるのでしょうか?大臣は自信をもって国民のためにこれだけの行動をしたと、全員が言えるのでしょうか?
もし自信をもって言えない人がいるのならば、それは任命責任に問われるべきです。国難に対し行動できない大臣、もしくは更なる混乱を招いた人、そのような人を選んだのならば任命責任に問うべきです。
若者の政治離れは必然
現在の国会はゲーム感覚のように見えます。まさに国盗り合戦、とにかく選挙区を多く勝ち取った党が1面クリアです。そのための手段は、違法でもバレなければ問題ありません。地位と権力を上手に使い、クリアを目指します。違法がバレたりスキャンダルが起きれば失職しゲームオーバーです。
国会の討論は、言葉遊びをしているように見えます。いかに自分につらい状況をうまくかわすことができるか、言葉の選択肢の中から選び、うまくいけばセーフです。間違えた回答をすれば、支持率が下がります。本当に今の国難を乗り切ろうとしているようには見えません。揚げ足取り合戦です。
若者がこんな状況に興味を持つでしょうか?誰がなっても変わらないことに失望をするのは当然、国会にヒーローは現れないのです。
それは出る杭は打たれるから、「集団」という恐ろしい力で打ち付けてきます。打ちつかれたくないから、長い物には巻きつくのです。これが繰り返されています。 スキャンダル後の任命責任を問うのは誰にでもできます。大切なのは、何もしない人を問うことです。若者が興味を持つような意見が聞きたい、最近の答弁を見ていて思いました。